書くたびに、その子の未来を少し想像する
名前を書くという仕事
命名書を書くとき、私はただ字を書いているわけではありません。紙の前に座り、墨をすり、筆を持つ。その一連の動作は同じでも、毎回まったく違う感覚があります。なぜなら、そこにあるのは単なる文字ではなく、一人の人生の始まりだからです。名前は、生まれて最初に与えられる贈り物です。親が考え、迷い、選び抜いた言葉。それは呼び名であると同時に、その子に託された願いでもあります。だから私は、名前を書くとき、その形の美しさだけでなく、その名前が呼ばれていく時間を想像します。たくさんの人から愛されてほしいな、そしてどんな素敵な大人になっていくのかな。そうした未来の断片を思い浮かべながら、筆を進めています。
まだ見ぬ時間への想像
命名書を書くとき、赤ちゃんの顔を知ることはほとんどありません。写真を見せてもらうこともあれば、名前だけを預かることもあります。それでも、筆を入れる瞬間には必ず、その子の未来を少し想像します。
この子はどんな表情で笑うのだろう。どんな友だちに出会うのだろう。何に夢中になり、何に悩むのだろう。もちろん、それはあくまで想像でしかありません。未来は誰にも分からないし、名前が人生を決めるわけでもない。それでも、名前を書くという行為は、その子の時間の始まりを一緒に応援したくなります。だけど気持ちはできるだけ静かな気持ちで書きます。余計な感情を混ぜず、けれど無関心にもならず、その子がこれから歩くかもしれない長い道のりを、ほんの少しだけ思い浮かべるのです。
親の願いを受け取る瞬間
名前には、親の想いが込められています。意味を重視した名前、響きを大切にした名前、家族の歴史を受け継いだ名前。どれも正解で、どれもその家族の大切な宝物です。私は依頼を受けるとき、できるだけ名前の背景を知ろうとします。どんな思いで付けたのか、どんな願いがあるのか。それを聞くたびに、名前がただの文字列ではなく、その家族の選択の結晶なのだと感じます。その想いを受け取ったとき、私は少し緊張します。なぜなら、命名書はその願いを形にする役目を担うからです。書き損じればやり直せばいい、という単純なものではありません。その名前が持つ重みを、筆にのせる責任があります。
だから私は、書く前に必ず一度深呼吸をします。その名前が生まれた背景を思い返し、これから呼ばれていく未来を少しだけ想像し、ようやく最初の一画を置きます。
未来は変わっていくもの
名前に込められた願いは、時間とともに形を変えていきます。親が思い描いていた未来と、子どもが歩む未来は、必ずしも一致するとは限りません。思い通りにいかないこともあれば、予想もしなかった道を進むこともあるでしょう。けれど、それでいいのだと思います。名前は未来を縛るものではなく、出発点に過ぎません。命名書もまた、その瞬間の願いを残すものであって、未来を決めるものではない。私は、命名書を書くとき、理想の人生を描くのではなく、その子がどんな道を選んだとしても支えになるような一枚になればいいと思っています。迷ったときに、自分の名前を見て、そこに込められた願いを感じられる。そんな存在であれば十分なのです。
命名書が届く未来の瞬間
命名書は、生まれてすぐの記念として飾られることが多いですが、本当の意味で目に留まるのは、ずっと後のことかもしれません。自分の名前について考えるようになったとき、自分のルーツを知りたいと思ったとき、命名書は初めて静かに語りかけます。この名前は、こんな願いで付けられたのだと知る瞬間。そこには、親の想いと、その子が歩んできた時間が重なります。命名書は、その交差点に置かれた小さな証のようなものです。私は、その瞬間を直接見ることはありません。それでも、その未来の一場面に少しだけ関われるのだとしたら、この仕事には最高に意味があると思えるのです。
だから今日も想像する
命名書を書くとき、その子が生きていく時間をほんの少し想像することしかできない。それでも、その想像は決して無駄ではないと思っています。
名前を書くという行為は、過去と未来をつなぐ作業です。両親が選んだ理由という過去と、その子が生きていく未来。その間に立ち、私は静かに筆を動かします。書くたびに、その子の未来を少し想像する。それは、特別なことではなく、この仕事を続けるうえで自然に生まれた習慣です。そしてその想像があるからこそ、一枚一枚を軽く扱えなくなるのだと思います。
今日もまた、どこかで新しい名前が生まれています。その名前が呼ばれていく時間を思いながら、私は次の一枚に向き合います。
