手書き命名書が「写真では伝わらない力」を持つ理由
スマホで何でも完結する時代。文字も、写真も、瞬時に綺麗に編集し整えられるようになりました。日々、目にしている多くの文字は、デジタルで整えられた均一の文字です。パソコンもスマホも、姑息で綺麗に整った文字を表示してくれます。その便利さは今の暮らしには欠かせません。安くて可愛い印刷の命名書もたくさん販売されている中、それでも、命名書や手書きの文字を選んでくださる方がいます。
実際、命名書をお届けしたお客様から「写真より、実物の方がめちゃくちゃいい」「手書きってなんでこんなに心に響くんやろう」こんな声をいただくことがあります。書道をしていて嬉しい瞬間です。
実は、手書きの文字にはカメラ越しでは伝わらない力と温度があります。今日は、命名書作家として私が感じている手書き文字の魅力とその理由をお話しします。
デジタル文字にはない「生きた線」が生まれる
デジタル文字はどれも大体同じ太さで、同じ形で、同じリズムで作られています。人による感情や迷いが入らず、常に完璧です。それに対して手書きの文字は、①書き出す瞬間の呼吸②筆を運ぶ速度③次の画、次の画へとの見えない線(つながり)④起筆での溜めや力の収筆での力の抜き方⑤気持ちの揺れ
などが存在するため同じ人が同じ字を書いても、二度と同じ線にはなりません。特に筆文字は、筆圧のかけ方や抑揚、墨量の変化によって、線の表情が大きく変わります。簡単に言うと筆圧をかけ勢いよく書いた線は力強く、ゆっくりと呼吸を合わせながら書いた線は柔らかい。この、線の揺らぎこそが生き物のような温かさを持ち、人の心を揺さぶります。
人の手で生まれた「不完全さ」に温度が宿る
デジタル文字は完璧です。美しく、整いすぎていて、淀みもブレもありません。しかし、人の心は“完璧なもの”よりも“ほんの少しの不完全さ”に惹かれることがあります。手書きには、微細なズレや、かすれや、余白の違いが必ず生まれます。それは欠点ではなく、書き手がそこにいた証拠です。家族に宛てた手紙が心に残るように、子どもの落書きが宝物になるように、「人の手」を感じるものは、どんなものよりも温かい。命名書は特に、赤ちゃんの“はじめての名前”を形に残すもの。だからこそ、誰かが丁寧に向き合い、一筆一筆に想いを乗せて仕上げた作品には、写真では伝わらない力が宿るのです。
書き手の“想い”が線に乗る不思議
筆を持つとき、私は必ず依頼してくださった方の言葉や、赤ちゃんのお名前の意味、家族の願いを思い浮かべています。「この子が優しく育ちますように」「強く、たくましく人生を歩めますように」「家族みんなで支えていけますように」。そんな気持ちを胸に抱くと自然と呼吸がゆっくりになり、線の流れが柔らかくなったり力強くなったりします。これは科学的に証明できるものではありません。しかし作品として完成した命名書を見ると、その時の気持ちが線に現れている、と自分自身でも感じることがあります。そして不思議なことに、実物を手に取ったお客様も同じものを感じ取ってくださる方が多いのです。
命名書は「写真」より「実物」で価値がわかる作品
命名書は、画面越しだけでは魅力が十分に伝わりません。写真では、墨の濃淡や紙の繊維の質感、筆跡の細かな動きが消えてしまいます。光の加減によって、深みのある墨色も平面的になってしまいます。でも実物を手に取ると、光の角度で墨の濃淡が変わったり、紙の持つ温かい質感が伝わったり、一文字一文字が“呼吸しているような立体感”を帯びて感じられるのです。だからこそ、作品が届いた瞬間に感動してくださる方が多いのだと思います。命名書は「飾る」だけのものではなく、家族の節目を象徴する、大切な宝物としての存在になる。それは、手書きだからこそ生まれる価値です。
最後に
便利なデジタルの時代だからこそ、手書きの文字は特別な存在になりました。
- 人の手で生まれる温度
- 不完全さの中にある優しさ
- 書き手の想いが宿った線
- 実物に触れたときの圧倒的な存在感
それらはどれも、写真だけでは伝わりません。命名書を通して「手書きには、人の心を動かす力がある」ということを、今後も多くの方に伝えていけたら嬉しいです。
